これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻は「人生の海図」

妻と暮らして24年半、妻を想って4年8ヶ月。


あと何年妻を「想う」のか。
暮らした年数と同じだけ「想う」としたら、あと19年10ヶ月。
以外と長い。
平均寿命に数年足したくらいまでだ。
(ここ1~2年で亡くなる場合もありますが・・・)


毎日、24時間-寝ている時間 妻を想っている。
18時間位ということか。
マメではない私にしては、すごいことだ。


逆に、
想うことを禁止されたとしたら、
私は、芯のないクラゲのようになってしまうだろう。
(でも、肩に無駄な力が入っていないように見えるクラゲ自体は好きですが・・・)


見えなくても、
妻は、私にとって、必要不可欠な存在なのだろう。


妻を想うことは、
“命”、死”、時間”、を同時に考えることにつながっている。


これらは、目先のことと違って、普遍的なものだ。


“流行”について考えている時より、
“普遍的なもの”を考えている時のほうが、
地に足が付いている自分”に気付き、安定を覚える。


“妻の死”が、私に、
この普遍的なものを考えるように仕向けている。


妻は、
姿を消してからも、
私に影響を与え続けている。


妻の指示にしたがって、生活、行動していれば、
間違いはないように思える。


妻は、私にとって、「人生の海図」なのだ。



サッカーのワールドカップへの出場をかけて、
ウェールズと対戦したウクライナチームが、
0対1で敗れ、ワールドカップ出場を逃した。
残念だ。


外国のチームに対し、これほど勝利を願ったことはなかった。

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