これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「誰かのために」

「誰かのために、何かをする」


綺麗すぎる言葉にも聞こえ、
人によっては、そうすることで自己陶酔する人もいるだろうが、


その「誰か」がいることで、人は幸せになるというのは、
私は、間違いないと思っている。


その「誰か」がいない場合は、幸せにはならないのかと言えば、
私は、80%くらいそう思っている。


「誰か」に対して、
見返りを求めることなく、愛を与え続ける。
これほど幸せなことはない。
こういう行為をすることで、
相手だけでなく、自分も幸せになれるみたいだ。


その「誰か」になりえる人は、そうそういるものではない。


私は、幸運にも、そういう人と出会うことが出来た。
自分よりも大事だと思える人と、出会うことが出来た。


自分の命と引き換えに、妻を助けることが出来たとしたら、
躊躇なくそうしただろう。


残念ながら、そういう提案は、
神様から、提示されることはなかった。


だから、妻は亡くなり、私は生きている。
自分の命は高価ではないが、
妻の命は、私にとって、高価だった。


その高価な人は、目の前から消えて行った。


見えない妻は、今、どうなっているのだろう。
粒子となって存在しているのか、
他に形を変えて、存在しているのか、
私の頭の中の映像としてだけで存在しているのか。


いずれにしても、以前の妻はいない。


そういう存在の妻に対して、
何かやれることはないか?


何度も、ブログに書いているように、
供養しかない ということか。

×

非ログインユーザーとして返信する