これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

お金と幸せ

私は、65歳から受給できる年金の繰下げ受給を選択していて、
3年が経過しようとしている。


受け取りを延ばしていくと、65歳からと比較して1年遅らすごとに、
8.4 %受け取り額が増える。
70歳まで受け取らないと、42%増額になる。
81歳くらいI以上生きれば、得することになる。
(将来、日本の年金支給額が減らないという前提として)


私は、倹約生活をしながら、貯金を減らさないようにして、
70歳からの受け取りを考えていた。


しかし、
支給額が増え、所得が増えると、
税金・社会保険料が増え、
手取りが減ることも考えられる。


そこで、
27日火曜日に、年金事務所に行って、
68歳、69歳、70歳から年金を受け取った場合の、
年金額を計算してもらった。
(組織的には予約時間を間違ったり、呼び出しを間違ったり、
対応した職員に関しては、感性の乏しさが感じられ、悪い人ではないだけに、
ちょっと心配になった)


週明けに、税務署・区役所に行って、
税金・社会保険料について、相談しようと思っている。


妻が亡くなる5年前までは、
お金について、
それがすべてとは言わないが、
ある程度は、幸せと繋がっていて、
お金が化学反応を起こし、
幸せの量を増やす働きをすると考えていた。。


株が上がることで喜んだり、「宝くじが当たったらなあ」 と考えたり、
年金額の計算をしたり、
ゆるい起業を考えたり など、
お金を増やすことを常に考え続けていた。


しかし、妻の死後、お金に関する考えは一変した。
一人生活では、
お金が化学反応を起こすことはないということが分った。


お金は、無力化した。


最低限、生活出来るだけのお金と、
今後の介護にかかる費用だけを確保していれば
プラスα分のお金は必要ないと考えるようになった。


化学反応が起こらないお金が入っても、
使う喜びは起こらないので、在庫が増えるだけになる。


お金を得るために、時間を切り売りするくらいなら、
その時間は、妻を想う時間に使いたい。


28日水曜日に、
4月27日のブログにも書いた、妻の高校の同級生Nさん(男性)と会った。


Nさんは、小さな会社数社の顧問を掛け持ちしている。
そのうちのひとつの会社の仕事で、私の住まいの近くに来るとのことで、
お茶でも飲みませんか? という誘いがあった。


私はOKして、28日、Nさんとあった。
1時間ほど喫茶店で話していて、
Nさんから、Nさんが顧問をしている会社で、
フルではないけれど働きませんか と誘われた。


お金が、幸せにつながると考えるNさんと、
お金は、幸せにつながらないと考えるようになっている私との
ギャップを感じた。


Nさんには、こういう説明はしないで、
「静かに余生を送りたいので」とだけ答えて、やわらかく断った。

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