これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「怒り」と「涙」

一人生活になり、5年が過ぎた。


悲しさ、寂しさは消えることはないが、
それは、妻が形を変えたものだと考え直し、
毛嫌いしない心の状態に改めることで、
痛みをわずかながら軽減させている。


悲しさ、寂しさは、慢性的に存在している感じだが、


何かの刺激に反応して発生する感情として、
怒り」と「」がある。


「怒り」は攻撃、「涙」は受け身という印象があり、対照的に見える。   
怒りの方は「出す」、涙の方は、「出る」という感じか。


でも、「出したり」、「出たり」することで、
どちらの感情にも、一時的に、アルファー波が出てる感じはある。


“怒り”は、
それを周りのものにぶつけることで、
不思議と消えることがある。
そして、移動させることが可能だ。


どういうことかと言うと、
自分の中で起こった「怒り」を、
他の人にぶつけることで、怒りの塊は、相手に移動し、
ぶつけた本人は、気持ちが楽になることがある。


八つ当たりされた相手はいい迷惑だが。


人格者は、
そんなことはしないと思うので、
怒りは抱えたままになる。


私の場合、生活するうえで、 あまり怒りを感じることはないが、
一つだけ怒りを感じることがある。


それは、
妻が平均寿命まで生きられなかった現実に対してだ。
女性の寿命が87歳だとすると、あと30年生きられたはずだ。


このことに対し、怒りを誰かに向けたいが。


ぶつける相手がいないため、
妻を守れなかった自分に向けられることは度々ある。


または、
存在するかしないかはっきりしない神様を、
ここでは都合よく、存在することにして
怒りの矛先を、向けることもある。


「涙」が、
感情調節としての働きがあるのは以前からわかっていたが、


「怒り」を何かにぶつけることも、
私だけかもしれないが、
感情調節が出来ている感覚がある。

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