これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

浄化

妻の死から5年が経ち、妻がいないことへの諦めの感情も出るようになり、
感情の揺れ幅が縮小して、落ち着いてきたかのように感じていたが、


先日、パソコンで妻の動画を見ていたら、
無性に妻に会いたい気持ちが湧き出てきて、
よく”時薬”という言葉を聞くが、私には効かないな と思った。


毎日、遺骨箱の横に立てかけている写真は毎日見ているが、
動画は、数ヶ月に1度しか見ることはない。


写真の中の、静止している妻は、
こちらを見ていて、今でもつながっている感覚を与えてくれているが、
動画の中の妻は、
それだけではなく、私をその動画の中に、吸い寄せるような力がある。


写真に比べて、リアルな妻に少し近づくからだと思うが、
脳は、瞬時に、「それはリアル妻ではないよ」と伝えてきて、
胸の中に、寒いものが走るのを感じてしまう。


動画の中の妻の表情、動きを見ていると、
「私と相性がいい人だったなあ」と改めて思わされる。


どのような点が、相性の良さにつながっていたかと聞かれても、
それは、肌で感じる感覚的なものなので、
言葉で伝えようとすると、
違うものを想像させてしまう可能性が高いと思っている。


会社勤めをしている時、
会社という組織の中で、相手とは、利害関係でつながっている感じがあった。
体の中にドロドロしたものが注入されているような感覚があった。


仕事を終え、帰宅して家に入ると、
わずかながら、妻と2人だけの時間が待っていた。


妻は、ここぞとばかりに、たくさん話をしてくる。
私は、疲れているので、あまりしゃべらず、完全に聞き役だ。
でも、その生き生きとした妻の姿は、可愛らしくて好きであった。


妻は、天然で、ピュアなところがあり、そしてドジで、
接していると心が洗われる感じがしていた。
人工的でない透明感が、”自然な かたち”で備わっていた。


会社にいる間に私の体に入り込んだドロドロしたものを、洗い流してくれていた。
妻は、そういう意味で、私の心の中を洗浄してくれる人だった。


妻を、感覚的に説明するならば、
「ジブリの映画を見た後の心の状態」といえば、
近いものがあるかもしれない。


動画の妻は、私の心を浄化してはくれるが、
それでも、リアルの妻には、遠く及ばない。


妻がいなくなってからは、
私の心の中の壁面は、以前のように完全に浄化されておらず、
汚れが残った状態が続いている。

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