目に入る景色
若い時は、
外を歩いていて、目に入るものに対して、
特に何かを感じることはなかった。
視覚から入っていたのだろうが、
頭までは届いていなかったということだ。
次にやることが頭の中を占めていて、
景色が頭に入ってくることはなかったように思える。
会社を辞めて、組織から解放され、時間と心に余裕が出てくると、
周りの景色が視覚を通して頭に入ってくるようになった。
街路樹から、木の葉が舞って落ちるのを見て、
感じるものがあったりする。
空を見上げ、その青さに、何かを感じたりする。
歩道をテクテクと並んで歩く2羽のハトを見て、
羨ましいと思ったりする。
母親と歩く小さな子供を見て、
家族なんだな と思うとともに、
母親と子供の顔を見て、主人の顔を想像してみたりもする。
心に余裕が出来たというより、暇だなあ と思ったりもする。
物理的な景色は、
視覚から脳を経て、心に入って来る。
そして、その景色は、情緒へと変換していく。
更に、その情緒は、妻を浮かび上がらせる。
その妻は、
私に、
懐かしさ、心地よさ、寂しさ、哀しさ 、
などの感情をもたらし、私の心を揺さぶる。
家にいる時も、外にいる時も、
妻は私の傍にいてくれている。
これからも、二人の旅は続く。