これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

目に入る景色

若い時は、
外を歩いていて、目に入るものに対して、
特に何かを感じることはなかった。


視覚から入っていたのだろうが、
頭までは届いていなかったということだ。


次にやることが頭の中を占めていて、
景色が頭に入ってくることはなかったように思える。


会社を辞めて、組織から解放され、時間と心に余裕が出てくると、
周りの景色が視覚を通して頭に入ってくるようになった。


街路樹から、木の葉が舞って落ちるのを見て、
感じるものがあったりする。


空を見上げ、その青さに、何かを感じたりする。


歩道をテクテクと並んで歩く2羽のハトを見て、
羨ましいと思ったりする。


母親と歩く小さな子供を見て、
家族なんだな と思うとともに、
母親と子供の顔を見て、主人の顔を想像してみたりもする。


心に余裕が出来たというより、暇だなあ と思ったりもする。


物理的な景色は、
視覚から脳を経て、心に入って来る。
そして、その景色は、情緒へと変換していく。


更に、その情緒は、妻を浮かび上がらせる。


その妻は、
私に、
懐かしさ、心地よさ、寂しさ、哀しさ 、
などの感情をもたらし、私の心を揺さぶる。


家にいる時も、外にいる時も、
妻は私の傍にいてくれている。


これからも、二人の旅は続く。

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