これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「神様が存在する」と仮定しての話

あくまでも神様が存在するという前提で書いてみた。


私はクリスチャンでもないし、神様について研究した訳でもない。
なので、書いていることは稚拙な内容かもしれないが
頭に浮かんだことをそのまま書いた。


神様は人と人とが助け合うために人を作ったはずなのに、
なぜ、助けることが完結しない状態で、
私たち夫婦の人生を終わらせたのだろう


大きなことは求めず、お互い助け合う生活にささやかな喜びを
求めていただけなのに・・・。


夫婦という形が消滅した後の毎日の生活は、
糠に釘を打っている感覚だ。手応えのある感覚が懐かしい。 


やっていることが、穴の空いた風船に息を吹き込んでいる感じで
入れても入れても空気は抜けていく。
常に何かが不足しているという感覚がいつも覆っている。


神様は完全であり、
“理不尽な行為”をするはずがないと考えるならば


平均寿命まで多くを残した妻を、なぜ、この世から追い出したのだろう。
私たち夫婦にとって、先に妻があの世に行くことが最良だと考えたのか?


早く亡くなっていく人を見てみると、概ね、いい人である印象がある。


“早く亡くなること”は罰ではなく、
“いい人だから選ばれで”あの世へ行くことになったのだろうか。


悪いことをする人でも、早く亡くなる人はいる。   
しかし、そのような人は、
“あの世”にある別のゾーンに入るのだと考えたりする。


妻は、やさしい心を持っていたが
“この「俗世界」の中では生きづらかった人”だった。
神様はそういう妻を選んだ。


この流れから予想されることは、
“あの世”は“この世”に比べて、崇高で穏やかな場所であるということだ。


そんな場所にいる妻は
気持ち良く生活しているはずだ。


そう思うと、気持ちが少し楽になる。

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