これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「ふたりの人生」を、マラソンに例えると

先週の日曜日、マラソンの五輪選考会レースを見ていた。
男女2人ずつ、4人の代表が決まる。
結局、決まったのは、男子で準本命が1人、そして、もう1人、
女子は、本命が1人、そして、もう1人 に決まった。、


レースを見ている時に、
“妻と私の人生”を、マラソンに例えると、どうなのかを考えてみた。


まずスタート時点から、2人並んで出発し、
そのまま仲良く並んで、走り続ける。


私は、妻の様子を見ながら走り、
妻より先に私がリタイヤすることは絶対に避けようと心がけて走った。


なぜなら、
妻が1人で走ることになると、


どこかで倒れても、助ける人がいない。、
走るのをやめて、誰にも報告せずに何処かへ行ってしまうかもしれない。
または、逆走し始めるかもしれない。


だから、妻を一人には出来ない。


20キロまでは順調だったが、
そこで妻は倒れて、そのまま途中棄権してしまった。
それまで元気だったのに、突然だった。
42.195キロを一緒に走る予定だったのに
残り22キロを残して終わってしまった。


妻が1人で走る事態に至ることはなかった。
しかし、私は、
残りの距離を1人で走ることになってしまった。


走る喜びが無くなった。
あとは、ロボットのように、ゴールまで機械的に走ってしまいそうだ。
感情は伴わない。


しかし、もしかしたら、
ゴール地点で、妻が私を待っているかも知れない。


やっぱり、残りの距離、手を抜かず真面目に走ることにするか。


そうすれば、ゴールした時、
“妻と抱き合う瞬間の充実度”が違ってくるはずだから。

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