これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“枝”と“葉っぱ”だけで生きていくしかない

妻といっしょに生活していた時は、
1日にやろうとしていたことが、70%くらいしか出来なかった。


一人になった今は、ほぼ100%こなすことが出来ている。


妻の“こだわり”からのハードルが、置かれることがなくなったからだ。
100mハードル走が、普通の100m走になったためだ。


こう話すと、それは良かったじゃない と言われそうだが、
100%こなせることなど、私にとっては、どうでもいいことで、
木に置き換えると、それは“枝や葉っぱ”にあたることであり、
それが無くなったとしても、何ら困ることではないのだ。


やはり“木の幹”が無くなってしまったことが重大で、
たくさんある枝や葉をつなぎ合わせても、
幹が無くては木の体を成さない。


幹というのは妻のことであり、
それが無くなり、何とも変な形で、不安定な木になってしまった。
すなわち、変な人生になってしまった。


幹は、一度無くなってしまうと、もう生えてこない。
枝と葉っぱの継ぎ合わせでのやりくりで、残りの人生を生きていくしかないのか。


それではつまらない。あえて、希望を絞り出してみた。



地上の“幹”は無くなってしまったが、
まだ“根”が生きている可能性がある。


私が死んだ時、
私の体は土に還り、


地上では会えなくなってしまった妻と、
再び出会う奇跡が起こることを、毎日切望している。

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