これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

終活中

昨年、10月から終活を始めている。
5年の間に終えることを目標にしている。


私は子供がいなく一人住まい。


もし、室内で倒れたら、
誰も気付かず、数ヶ月後に発見されるというケースも、
十分ありえる。


4人姉弟妹だが、あとの3人の住まいは西日本で
離れていて、
連絡も、父母の法要に関するやり取りの時くらいだ。


学生時代からの友人や、
以前勤めていた会社の人からの
「飲み会」の誘いも、年に数回であり、
私が携帯に出なくても
それは、「連絡が付かなかった」で終わってしまうだろう。


そういう事態になった時に、
遠くに住んでいる私の姉弟妹に、
迷惑がかからないようにしておきたい。



・銀行、ネット証券、カード会社、スマホ、プロバイダー
知人友人の連絡先、等の一覧表作成


・デジタル遺品の整理


・財産整理


・断捨離の実行


・社会保険事務所、区役所等で必要な手続きの書き出し


・公共料金、管理費など、引落しされている機関の書き出し、


・住んでいるマンション関係の書類の置き場所決め。


・「遺書」の作成
「死んだ後、私と妻の遺骨を近くの○○寺の納骨堂・合同墓に入れてほしい」
など。


これに加えて、
・妻との生活を写真や文章でまとめた「本」の作成
(部屋の遺品整理をしている時、
姉弟妹が目にすることを意識して作成するものであり、
一般の人に見せる本ではない


姉弟妹も、この「本」を、
一度、目を通した後、処分するだろうが、
「私と妻の生活」を、心の中に少しだけでも
残してくれればいいという考えだ。


5年間は、死なないようにしなければならない。
それを過ぎたら、いつ倒れても構わない。


5年以内に亡くなる可能性は少ないという感覚があるためか、
終活作業は、延び延びになってる。


危機管理という観点からも、
油断しないようにしておきたい。


最近、
就寝前、布団の中で横になっている時、


自分が死んでいく時の心理状態を
擬似的、想像的に探っている。


併せて、
「妻が亡くなっていく時の、こころの状態はどうだったのか」
ということも、考えている。


不思議と、死への恐怖が少ないことに気付く。
(実際に死を間近にすると、
怖くなるかも知れませんが・・・。)


しかし、
少なくとも、ここ数日の「疑似的、想像的体験」では、
死を受け入れられる感覚だ。


死は、人の存在の自然サイクルの1つ だから
逆らう必要はないという考えに行き着く。


また、
「妻に会えるかも知れない」という淡い期待も加わる。

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