これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「もっと、もっと」の欲望 と「新型コロナ」

アルバイト先から、今週一週間活動自粛を伝えるメールが来た。


町を自転車で走っていると、人がまばらなのがわかる。
以前は、人をかき分ける感じで歩いていたのだが、
人とすれ違う時、以前と違って十分隙間があり、
ストレスがかからない。


夕食のために、量り売り惣菜店に立ち寄ったが、
感染防止対策のためか、量り売りはなくなり、
作り置き弁当だけになっていた、


一通り見回したが、
これというものがなかったので、
何も買わずに店を出た。


出る瞬間、
「ありがとうございます。またよろしくお願いします。」
という店員の声が、背中から聞こえてきた。


以前なら、何も買わずに出て行くと、
「あっ、何も買わなかった」
という顔をされることが多かったのだが、
客が減って、弱気になっているのだろうか、
優しい態度を見せてくれた。


人間、逆境の時、気弱になるみたいだ。


スーパーは、それほど人が減っているようには見えない。


パックご飯の商品棚に行くと、すべてなくなっていた。
外出自粛の不安による影響か。


雰囲気的に、人の心のテンションが低くなっているように見える。


妻を亡くして以来、低くなっている私のテンションに、
周りが少しだけ近づいている感じだ。


経済に、先行き不安はあるが、
静かな生活を営む人々の情景は、
私としては、見ていて心地よい。



「新型コロナウイルス」の出現が、なぜ今なのか。


世界の人口増がもたらす将来の食料や水不足危機
これを事前に食い止めようと、
見えない力が、人口調整に入ったか。 


「もっともっと」の欲望 を持ちたがる近年の傾向に対し、
間接的に警告を鳴らしているのか。


以上のように、人類哲学的な見方をしてみたくなるが、


「単にウイルスが独自に動いているだけ」
なのかもしれない。


いろいろ考える。

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