これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

日々の生活と“むなしさ”

毎日、淡々とした生活を送っている。


妻がいた頃は、毎日心に動きがあった。
川の流れのように、
静かな流れの時もあれば、流れが早くなるときもあった。


時には、滝に出くわし、激しく流れ落ちる時(喧嘩の時)
もあった。


毎日心が揺さぶられながら、生活を楽しんでいた。


定期的に喧嘩はしていた。


妻はこだわりが強い人だったので、
私が、妻の持つ“枠”から外れた行動をすると、
強烈な攻撃を仕掛けてきた。
相当強烈だった。


私たちの喧嘩のパターンは、


妻が一方的に私を責めて来る。
しばらくした後、
妻の“責め疲れ”を待って、私が妻に謝りの言葉を発する。
そして終息する。


喧嘩は、
私がやった行為に対してのみに焦点が当てられたもので、
相手の人格を否定しているものではなかった

私たちの喧嘩には、「憎しみ」というものは存在しなかった。


喧嘩の後、妻のことが更に好きになり、
絆が深まった感覚があった。
いつも不思議に思っていた。


ただ、エネルギーは使うので、
翌日出勤しての仕事を考えると
体は少々しんどかった。


今は、妻からの制約もなく、喧嘩をする相手もいない。


“淡水池”のように、水面が動かず、静かで
毎日が変化のないシンプルなものになっている。


川のように前に進んでいる感じはない。


夕方、スーパーで買い物をして、
玄関ドアを開け、妻のいないことが再認識され、
妻の遺骨を擦りながら、帰ったことを知らせる声掛けをし、
しばらくして夕食を取る。


食事を終え、食器を洗っている時、
“一人”を感じ、
「昔の生活」に恋い焦がれる自分に気付く。

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