日々の生活と“むなしさ”
毎日、淡々とした生活を送っている。
妻がいた頃は、毎日心に動きがあった。
川の流れのように、
静かな流れの時もあれば、流れが早くなるときもあった。
時には、滝に出くわし、激しく流れ落ちる時(喧嘩の時)
もあった。
毎日心が揺さぶられながら、生活を楽しんでいた。
定期的に喧嘩はしていた。
妻はこだわりが強い人だったので、
私が、妻の持つ“枠”から外れた行動をすると、
強烈な攻撃を仕掛けてきた。
相当強烈だった。
私たちの喧嘩のパターンは、
妻が一方的に私を責めて来る。
しばらくした後、
妻の“責め疲れ”を待って、私が妻に謝りの言葉を発する。
そして終息する。
喧嘩は、
私がやった行為に対してのみに焦点が当てられたもので、
相手の人格を否定しているものではなかった。
。
私たちの喧嘩には、「憎しみ」というものは存在しなかった。
喧嘩の後、妻のことが更に好きになり、
絆が深まった感覚があった。
いつも不思議に思っていた。
ただ、エネルギーは使うので、
翌日出勤しての仕事を考えると
体は少々しんどかった。
今は、妻からの制約もなく、喧嘩をする相手もいない。
“淡水池”のように、水面が動かず、静かで
毎日が変化のないシンプルなものになっている。
川のように前に進んでいる感じはない。
夕方、スーパーで買い物をして、
玄関ドアを開け、妻のいないことが再認識され、
妻の遺骨を擦りながら、帰ったことを知らせる声掛けをし、
しばらくして夕食を取る。
食事を終え、食器を洗っている時、
“一人”を感じ、
「昔の生活」に恋い焦がれる自分に気付く。