「出口のあるトンネル」
私が今いる場所は、
「コロナトンネル」の中ではなく、
「死別トンネル」の中だ。
世の中、コロナショックで、
事態の収束が見えない状態だ。
多くの人が、
トンネルの中の暗闇にいるような心境だろう。
出口までの距離が分かっていたら、
その距離が多少長くても、
不安は軽減されるはず。
人間、
見えないと、不安と恐怖心が増す。
だだ、
私の場合、
コロナショックから受ける不安はほとんど持っていない。
時間がかかるかも知れないが、
いずれは、出口にたどり着くと考えているからだ。
一方、「死別トンネル」は違う。
私は、妻を亡くしトンネルに入り、
これまで2年半の間、先の見えないトンネルの中を歩いて来た。
出口がないと思うと、前へ進む意味を考えてしまう。
出口がないトンネルなので、
私は最後まで光を見ることなく、
死ぬ時は、トンネルの中だろう。
ただ、
ほんの少し奇跡を願う自分がいるのも確かだ。
その奇跡とは、
命が尽きる瞬間、
“一筋の光が私の顔を照らし、妻が目の前に現れる”というもの。
予期しなかった出口にたどり着いたことになる。
こういうことが起こればいいなと思っている。
“願い”を想像することは楽しい。
私の人生、
「終わり良ければすべて良し」
で終えることが出来る。
ただ、その想像は、
どうしてもオカルト的になってしまう。
「亡き妻との再会」は、科学では証明出来ず、
オカルト抜きでは成り立たないため、
これを考える時だけは、
オカルトと向き合わなければならない。