これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

存在しない人を愛する

テレビで、
1つの物を一途に愛する外国人を見た。


その外国人は、日本の包丁のきめ細やかさに心を打たれ
自身も20数本の包丁を持っている。


包丁について愛おしそうに語る彼の姿は
包丁には全く関心がない私でも
見ていて、気持ちがいい。


“1つ”を愛する人の姿・表情は心が洗われる。


そういう人は、変わった人と見られる場合もあるが、
邪念がない姿は、嫌う理由が見つからない。


私は、生活の中では雑念がたくさんある人間だ。


だが、妻という“1点”を愛している自分の心の中は、
一点の曇りもなく、
雑念のない自分を感じる。


自分の中で、一番好きな“自分”だ。
そういう自分を見て、自分自身、心が洗われる。


存在する妻を愛することは、何ら難しいことではなかった。


しかし、その妻はいなくなった。
それでも、引き続き一番大切な人であることには変わらない。


妻は、期間限定だったが、
私に、“生きがい”を与えてくれた。
その生きがいは、
今、思い出に変化して、私の心の中に息づいている。


妻との出会いがなければ、得られなかった宝物だ。


そう考えれば、不幸だけとも言えず、
ほんの少しだけ、自分の人生を肯定することが出来る。


今は、存在しない人を思う自分に変わっている。


存在しない人を愛する状態はとても苦しい。


胸に何かが詰まっているようで、
吐き出せないもどかしさがあり、
現状に納得がいかない自分がいる。


しかし、現状を変えることは出来ない。


私は、“この変えられない現状”との向き合い方を、
毎日探っている。

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