これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

私の妻⑥ 食べ物を移してくる妻

妻を中心に据えて生活しようとしていた私。
私を中心に据えて生活しようとしていた妻。


お互いが、自分よりも相手の方が大事だと考える夫婦だった。


そのため、物事を決めるとき、
お互いが、相手に選択を委ねた。


例えば、日帰りバス旅行の行き先を決める際に、
妻は、私の行きたいところでいいと言うし
私は、妻の生きたいところでいいと言う


このままでは決まらないので
最終的に、パンフレットで2カ所、私が候補を選んで
その2カ所から、妻に決めてもらうというパターンが多かった。


妻が亡くなった年と、その1年前の2回、海外旅行に行った。


この旅行の行き先は、私が決め、
妻の承諾を得るという形を取った。


妻は地域としてはヨーロッパが好みと見ていたので、
行き先に選んだイタリアは、いい選択だったと思う。
(まさかこの1年後に、がんのステージ4という告知があるとは、
全く気付くことが出来なかった。)


旅行先で食事をするとき、妻は何が食べたいという主張を
全くしない人だった。


もともと食べる量が少ない人ではあったが、
私といっしょの時は、
私が満足することのみを考えていたように思える。
自分をいつも後ろに置こうといた。


妻は、旅行先での観光や食べ物には関心がなく、
私と二人で行動することに喜びを感じているということは、
私は、わかっていた。


だけど、自分のしたいこと、食べたいものを主張する“わがまま”を
もう少し出して欲しいと、私は思っていた。


日帰りバス旅行での昼食時、
妻はいつも、自分のお皿に載った食ベものを
どんどん私のお皿に移してきた。


私が、
「お腹いっぱいだから、そちらで食べて」と止めようとしても、
妻は意に介せず、
私がまだ食べられるということを見抜いており、
どんどん移してきた。


お互い、相手が喜ぶことを望み、
取り合いではなく、与え合いの攻防が起こるという、
“奇異な夫婦”だった。


こういう“攻防”が、
今となっては懐かしい。

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