これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

蝉の鳴き声

25日、
バルコニーの前にある木から、今年最初となる蝉の声を聞いた。


梅雨が長引いているせいか、いつもより、遅いように思える。
蝉としては、まだ夏ではないと判断していたのだろうか。


その日は、5分くらい鳴いて、静かになった。
時世に歩調を合せて自粛しているのだろうか。
感染しないので、泣いてもいいのに。


蝉の鳴き声がうるさいと思う人は多い。


私は、好きな音の範疇に入る


蝉が鳴き出すと、妻はいつも
「蝉さん、目覚ましがないのに偉いね。いつも同じ時間に鳴き始めて」
と毎年、ポツリとつぶやいていた。
(妻の言う通り、午前4時台のほぼ同じ時間に蝉は鳴き始めていた。)


妻が亡くなって、3回目の夏。
毎年夏になると
そう言っていた妻の声質がはっきり思い出される。
心地よくも寂しい気持ちになる。


曲のメロディーに好き嫌いがあるように
音への好き嫌いは、人それぞれだ。


その音に背景を感じることが出来た時、
“雑音”も、“心地よい音”
に変る。


「蝉の鳴き声」 「電車の中での赤ちゃんの泣き声」 「救急車のサイレン音」
「認知症の夫婦の叫び声」 等は、それにあたる。


このうちの「認知症の老夫婦の叫び声」について


1年前から、隣に認知症の老夫婦が引越してきている。
別のところに住んでいる娘さんが、世話をしている。
夫婦共に、夜中に、共用廊下で、怒りながらものすごい大声で叫ぶことが
よくある。
娘さんが、なだめて部屋に帰そうとするのだが、
全く言うことを聞かない。


あの大声だと、同じ階の住人は、ほとんどが不快に思っているはずだ。


しかし、私は、そう感じない。


私は、普通の状態のときの、
素朴で人の良さそうなおじいさん、
可愛い性格のおばあさんを見ている。


認知症がそうさせているのであって、本人が悪いのではない。
そう考えると、愛おしいは言い過ぎかも知れないが、
うるさいという感情は沸いてこない。


「救急車のサイレン音」
この音を聞いて、気持ちが良くなる人は、ほとんどいないだろう。


私は、嫌な音にはならない。
これも、妻の思い出に繋がるからだ。


近くに救急病院があるため、救急車のサイレン音を聞くことが
時々ある。
すると、妻は、決まったように
「あっ、(私を)迎えに来た」と言っていた。


頭がおかしい自分を迎えに来たという意味であり、
自虐ネタで私を笑わせようとしていた。


その思い出が、ネガティブではなく、笑いの方が上回ることになる。


妻は音に対して特に過敏なところがあった。


一般的には、心地よく感じる音とされる「風鈴の音」


一度気になりだしたら、抜け出せないのが、妻の特徴だ。


向かいに建っているマンションから聞こえてくる風鈴の音が
気になり始め、どうにもならず、
その風鈴を吊り下げている部屋を探し出し、
菓子折りを持って、二人で部屋を訪ねて、
取り外すことを、お願いしたことがある。


その部屋の老夫婦は、快く取り外してくれた。


私にも、そう多くはないが、嫌いな音がある。
「麺をすする音」 


外国に住んだ経験はないのだが
何故か、あの音が苦手だ。


ただ、この食べ方は、
日本の文化と言えなくはないので、
我慢すべきだろう。

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