これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻の動画を見て

妻の遺骨箱に手を合わせる時、
横に立てかけているスナップ写真に目をやることで、
動いていない妻の姿は、毎日見ている。


動画については、
パソコン内のフォルダをクリックすることで
初めて見ることが出来る。


先日、久しぶりに妻の動画を見た。


いつもは、概ね1か月に1度のペースで
フォルダをクリックするのだが、
今回は約2ヶ月ぶりにクリックした。


間が空いていたことで、妻の動いている姿が、とても新鮮に感じた。


旅行先で撮ったものが、ほとんどだが、
妻との思い出が、はっきりと蘇ってきた。


特に、妻のおどけた行動のシーンが、
心に残るとともに、胸が痛くなる。


同時に、動画の中の妻から出る波動が、
パソコンの前の私の波動と同調しているのを
感じ取ることが出来た。


すると、妻への想いが、じわじわと拡大してきて、
「やっぱり、妻は私にとって、最良のパートナーであり、
唯一無二の人だったんだ」と
あらためて、確信することとなった。


そう思うと、今度は、大きなものを喪ったという思いが、
私の心臓を締め付けはじめる。


“心地良さ”のすぐ後に必ず来る“喪失感”、
いつも通りのパターンだ。


“心地良さ”と“喪失感”を左右に分割出来るなら、
分けた後、喪失感の方を消去すればいい。
しかし、
両者は混ざり合っており、分割することは出来ない。


不動産登記の共有持ち分と同じで、
1つの心を、
“心地良さ”と“喪失感”が、それぞれ2分の1ずつ共有している
というような表現になる。


この両者のバランスの取り方を、
今後、考えて行かなければならない。

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