“夢物語”
最近、空を見上げることが多くなった。
妻が空の向こうにいるかも知れないという感覚が、
そうさせているのではないだろうか。
妻がいなくなって数年間は、
打ちひしがれて地面を見て歩くことが多かった。
地面を見ていた頃は、
妻を喪った悲しさが心全体を覆っていた。
空を見ることが多くなった今は、
わずかではあるが、
希望を求めようとする気持ちがあるのかも知れない。。
ただし、この様な希望を持つ人は、多くないと思う。
普通に考えたら、ありえないと思われるからだ。
私は、かなわない希望を追いかけているのかもしれない。
人から見たら、私は“心配な人”になるのかもしれない。
でも、そういう、自分の姿が、愛おしい。
空に向かって、会いたい気持ちを、発信し続ける。
そうしたら、いつか、突然、
それまで、ずっと、
こちらの想いを遮断していた層に隙間が出来て、
そこから、想いが吸い込まれて、
妻に届く場面があるかもしれない。
宝くじ2億円に当たる確率は極めて小さいが、
ゼロではない。
しかし、私の希望は、
「地上にある仕組み」からしたら、不可能であり、
確率はゼロだ。
そうだとしたら、想いが届くことはないということだ。
そうとも言えない。
「地上の仕組み」の中で、
表に出ていない仕組みが存在することが考えられるからだ。
その仕組みが、存在しないということであれば、
当然、確率はやはりゼロになる。
表に出ていない仕組みというものが、有るのか、無いのか、
誰も教えてはくれない。
もし存在するとしたら、それがわかる時期はいつなのか。
私が死ぬ寸前なのではないだろうか。
その時、
想いが妻に届く瞬間だ。
あまり人には言えない私の“夢物語”は続く。