これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

ブログは“こころのセーフティネット”

亡くなった妻のブログを書き始めて、2年が過ぎた。


ブログを書く行為が、
幾分喪失感の量を減らしている感覚がある。


書くという行為で心を整えるものとして、日記がある


日記は、
毎日の出来事や感想などを時系列に書き示し、
自分の記録という要素が強いのに対し、


ブログは、
その時感じたことを、
人に不快感を与えないように気を付ければ、
制約を受けないで書くことが出来る。


そして、同じジャンル枠のブログ(ここでは死別ジャンル)であれば、
誰かが読んでくれて、悲しみに共感してくれて、
自分の悲しみの引き受け役を果たしてくれている側面もある。


そういうことから、
ブログは、
こころのセーフティネットとなり、
喪失感を抑制する“薬の役割”を果たしていると言える。


薬が、細胞に作用して、病気を治すのに対し、
ブログは、こころに作用して、こころの病を治してくれる。


更に、
自然治癒力が加われば、更にこころが軽くなるだろう。


自然治癒力の1つに、“時間”がある。


落ち込んだ時、“時間の経過”は、
“こころの治癒”に対して、確かに効果を発揮する。


しかし、
喪失感に対しては、
“時間の経過”は、まったく無力であることが、わかってきている。


この先、喪失感を一生抱えて生きることについては、
覚悟が出来ている。


ブログを書くことや、
妻の存在を感じながら生きること、


それは、
僅かであっても喪失感の量を減らしてくれているはず。


“こころの崩壊”に対する小さな抑止力になってくれている。

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