これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

悲しみが深いほどいい

悲しみはない方がいい。
辛い思いはしたくない。


誰もがそう思うのが普通だろう。


私も、悲しみを感じないようにするにはどうしたらいいか、
3年間ずっと考え続けている。
体が楽になりたいと思っている。


ここで、
ちょっと立ち止まってみて、
深い悲しみを持つことは、本当によくないことなのだろうか?
と考えてみた。
そのように考えてみることは、初めての試みだ。


妻への愛情が薄かったとしたら、
悲しみはあったとしても、深いものにはならないだろう。


中途半端に妻を愛したのであれば、
中途半端な悲しみしか持たないだろう。


現在、私は“深い悲しみ”を自覚している。
“一人の人を深く愛した”ということであり、
自分に自信を持っていいと思う。


そこで、
“悲しみは深いほどいい”という
今までなかった考えが、芽生えてきた。


理解不能な考えに見えなくもない。


ただ、私は、
現在抱えている“深い悲しみ”を、もう少し深く見ることで、
今までと違うものが少しだけ見えてきた気がする。


“深い悲しみ”があるのは、
妻を深く愛したという大切な証明書を持っている事になる。


これが魔法の言葉に思えてくる。
この魔法の言葉が持つ薬の効き目が、
どれほどあるのかは、初めて使うため、分からない。


ただ、この時点で、
この新しい薬が持つ効果を、体のどこかが予感する。


今までのように、“悲しみ”を避けながら歩くのではなく、
“悲しみの炎”の中に、真っすぐに向かっていく感覚になる。


そこが、今までと全く真逆の、悲しみに対する向き合い方だ。


このような考えは、つい最近思い付いた。
一見無謀なやり方に見える。
しかし、妻をしっかり愛したという確信が、
強力な支えになってくれる。


まずやってみる。
やってみないとわからないこともある。
かなり大胆で新たな治療方法になる。


“深い悲しみ”を肯定して、それにどっぷり浸かる。


誰も注目していない、被験者が私一人の臨床実験。
これから、静かにゆっくり進めていく。
(少々、大げさな表現になりました。)

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