“想像”に頼る
先日、「ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう」
という番組を見た。
会議での指名が予想される選手に焦点を当て、
再現ドラマを通じて、家族愛が描かれる番組だ。
最初に紹介された選手の話は、
母が腎臓がんとなり、弱音を吐かずに闘っていたのだが、
38歳で亡くなった。
母は、息子が小学校の時から、
将来プロ野球選手になることを夢見ていた。
そして、彼は、見事会議で指名され、
プロ野球選手になることが決まり、
母親の願いは叶った。
番組を見終えて、
感動するとともに、
私の妻の、闘病中から亡くなるまでのことも思い出された。
この番組に限らず、
大切な人を亡くした多くの人が、
「あの人が空で見ているから・・・」とか、
「○○は一番近くで見てくれているはず」
と言うのを、よく耳にする。
大切な人は、亡くなって無になっているはずなのに、
どうして、まだ存在するかのようなことを、
口にするのだろうか。
私の場合も、
最近、自分が何かをしている時、
妻が空から見ているような感覚を覚える。
頭の中では、妻は”無”になっているという認識なのだが、
体の方では、妻はまだ存在していると感じているかのようだ。
“願望”が、私の体に作用し、
そのように感じさせているのかもしれない。
私は、宗教に関わっているわけではない。
「あの人が空で見ているから・・・」と口にする多くの人も、
同じであろう。
それでも、見えないものを想像する。
見えないものを信じる。
というよりも、
見えないものを感じているのかもしれない。
自分を元気づけようとしているのかもしれない。
妻との繋がりを絶ちたくないのかもしれない。
想像している時に、気持ちが楽になっていることは確かだ。
“想像”は、
間違いなく、私に希望を与えてくれている。
ただ、
“現実”は、その希望を簡単に打ち砕いていく。
“想像”と、“現実”のせめぎ合いが、
毎日続いている。