これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻を想う

再び、新しい1年が始まった。


1月1日は、
自転車で15分のところにあるショッピングセンターへ行き、
スポーツ用品店で、テニスパンツを購入した。
長く履いていたため、ゴムが緩んで来て、少しずり落ち気味であった。
そして、
毎年買っている福袋(レトルトカレーの詰め合わせ)
を2200円で購入した。
人気のあるカレー店のもので、ネットで購入すると4,000円位する。


福袋は、自分に必要でないものも入っているので、
必ずしもお得にならないのだが、
レトルトカレーセットなら、そういうことはないので、購入している。


家に帰ると、年賀状が数枚来ていた。


「コロナが落ち着いたら、また一杯やりましょう」
というコメントのあるものが、2枚あった。


1年前に飲んだ時、
亡くなった妻のことを長く話し過ぎて、
おそらく、辟易していて、
もう誘いはないだろうと思っていた。
少し嬉しかった。


しかし、
妻のことを話したい私と、
自分たちの今後の生活を前向きに話したい人とでは、
話題にズレが生じるのは、避けられないと思っている。


2日は、
キャンペーン期間中に限り、ネタが二段盛りになるという
立ち食い寿司店に行った。


客のほとんどが若い人だった。


「自分は、情報に敏感な若い人と、同じ行動をしているな」と
一瞬思ったが、
いや、そうではないなと思った。


同年代の人は、もっと値段のする寿司店でどっしり腰を据えて
寿司を口にしているのであって、
こんなところには来ないのだろう という考えに改めた。


食べ終えて、自転車で家に向かっていると、
30前後の夫婦らしき二人が、家の前の道路で、
楽しそうに羽子板をしている情景が目に入った。


「羨ましいな」と思いながら、
それを横目で見て、そこを通り過ぎた。


家に着き、
妻の遺骨箱に、「ただいま帰りました」と声をかけた。


妻との新しい1年が始まった。


“妻への想い”を積み重ねていく1年が始まった。


人の心を読むのが得意でない(と思われる)神様であっても、
「積み重ねの量」が多いことに気付くだろう。


そして、
「将来、私に妻を引き合わせてくれるのではないか」
という淡い期待が出てくる。
(「神はいる」という前提ではあるが )

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