これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

いろいろな “ものさし”

妻は
この世界の“ものさし”では、
決して優れた人ではなかった。


動作がゆっくりで、人によってはイライラする動きだった。
勤めていた派遣先でも、戦力にはなれない人だった。


効率、要領とは無縁の人で、
生きづらさを包有しながら生きている感じの人だった。


そのような妻だったが、
私といるときだけは、外では決して出さない天然さ、ピュアな部分を
フルに放出していた。


世間の “ものさし” に合せなくてもいい家の中は、
妻にとって
唯一、居場所を感じる空間だったのだと思う。


会社という“ものさし”に長時間合せていることで、
本当に大切なことを見失いがちな私に対して、
妻は、小さな感動をちょこちょこと与え続けてくれ、
私の心を正常なものに引き戻してくれていた。


翌日、会社に行くと、再び見失いかけてくるが、
家に戻ると、再び正常な心に戻してくれる。


それを、毎日繰り返していた。


本人は、
そういう役割を果たしているという認識は全くなく、
普通に振る舞っていただけだろう。


私の “ものさし” からすると、
妻は優れた人になるのだった。


私の心を、定期的に掃除してくれる妻はいなくなった。


効率、要領を追求するこの世の “ものさし” が無くなり、
あの世で、妻は、
この世にいる時よりは、ずっと楽に過ごしていると思いたい。


自己肯定感を持った妻と、


本当に優れた人が暮らしやすい“あの世”で、
いっしょに暮らしたい。


当然、
あの世”があればの話だが。

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