これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

おまけの人生

”生と”死”


この二つは一体のもので、単独で存在する事はない。


“生” がなければ  “死” はない.


“死” がなければ 不老不死の時代が訪れない限り “生” はない。


既に亡くなっている母親から聞いた話だが
私は、生まれた時、全く動かなかったそうだ。
ポンとたたくと動き出したそうだ。


見方によれば、笑い話にもなるが、
生死の分岐点であったことは間違いない。


でも、あのまま動くことなく死んでしまっていたら、


こうして、ご飯を食べ、テレビを見たり、音楽を聴いたり、
人と話したりすることは、なかったことになる。


言い換えれば、動き出してから、今に至る時間は、
私にとって“おまけの人生”だと言える。


妻との出会いも、“おまけの人生”の中で起こった出来事だ。


そうであるならば、妻を喪った悲しみも、
“おまけ”から派生したものとなる。


この様に今の人生を“おまけ”だと言い聞かせることで、
悲しみを軽減することが出来る。


悲しみを強く感じるとき、
時々この手法を使って、気持ちを落ち着かせる。


効果がある時もあれば、全く効き目がない時もある。


他に、気持ちを楽にする方法として、
「死なない人はいない」と考えること。


タイムラグはあっても、いずれ私も妻と同じ過去の人になる。
その時まで、目一杯悲しみ続ければいい。
自分の命が途切れるまで、悲しみ続ければいい。


悲しみに蓋をしようとするよりも、
とことん悲しみ、
悲しみめがけて飛び込んで行くぐらいの方が、


なぜか、心身がクリアになり、
最終的に、楽になる気がする。

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