これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

 私の妻 ⑧ 愛おしさ

私は「愛おしい」という言葉が好きだ。


「愛おしい」とは、
相手に対する無償の愛を指す言葉と言われている。


確かに、私は、自分自身よりも、
妻の方がずっと大事だという気持ちを持っていた。
それは、命においてもそう思っていた。


私は、いつも妻に対して愛おしさを感じていた。
今でも
妻を思い出す度に、「愛おしい」感情が蘇ってくる。


妻の持っている愛おしさはどこから来るのか。
考えて見た。


守ってあげたいという気持ちを抱かせる人だったからだと思う。


私の場合、
パーフェクトまたは、それに近い人間に対しては、
なかなか気持ちが動かず、守りたいという感情が出てこない。


守らなくても、やっていけるだろうし、こちらの出番はない。


妻は運動が全くダメで、
中学時代、体育の授業で、バスケットの試合中
「1度もボールに触れなかった」
と、ニコニコして私に話したことがある。


その時の情景を想像すると、
「まあそうだろうな」と思うとともに、
かわいいなと思った。


自転車にも乗れない。


妻はこだわりの強い人で、それに関することになると、
一歩も引かなくなる人だった。
そういうところが、
社会で自分をみずから生きづらいものにしているところがあった。


そんな妻を見ていると、妻に「哀しいもの」を感じ、
愛おしくて、何としても助けたい思った。


妻は天然の人だった。


意識的に天然を演じる人も、割と多く見かけるが、
妻の場合は、“素の天然”であり、
受ける印象が全く違っていた。
“素の天然の人”は、助けたくなる要素を持っている。


はとバスの日帰りバスツアーに何度か行ったが、
バスに乗っている間
妻は私にへばりつくように抱きついて
顔を私の膝の上に埋めて、ずっと寝ていた。


添乗員がそれを見て、
「奥さん、体の調子が悪いのですか」と言って
心配してくれたが、


私が「いつもこうなので大丈夫です」と答えたら、
ガイドは安心して、再び搭乗チェックに戻った。


声をかけられたのは、初回のツアーだけで、
2回目の参加からは、ガイドはちらっと見るだけで、
声をかけてこなくなった。


おそらく、最初の時のガイドからの引き継ぎ事項に、
「この夫婦はこうだから、大丈夫」と書かれていたのだと思う。


妻は、身長は161センチあったが、体重は43キロくらいで、
見た目が、何とも弱々しかった。


動きも、お姫様的で、だいたいにおいて、遅めだった。


こういう頼りなさそうな姿や動きが、
守ってあげないといけない気持ちにさせられた。


ただ、バス旅行の日、
家から駅に向かって歩くスピードは、
違った人間のようにものすごく早かったが・・・。


妻を守ることが、
私の老後のライフワークになりそうで、それを楽しみにしていて、
生きがいが得られると思っていた。


しかし、そのライフワークは実現しなかった。


今は、
息をすることが、ライフワークになっている。

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