これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

形見の効力

先日、地下鉄の改札をICカード乗車券(PASMO)で入ろうとしたら、
残高不足で通過できなかった。


カードケースに、もう一つPASMO が入っていたので、それでタッチして
入ることが出来た。残高は3000円ほどあった。


なぜ私は、PASMOを2つ持っているのだろうと思い、
カードに表示されている記名を見たら、
カタカナで書かれた妻の名前があった。


以前、妻が使っていた文房具や小物が入った箱を整理していた時に、
見つかったことを思い出した。


妻は、
1ヶ月定期として使用した後、
「記名PASMO 」への変更をして使用していたようだ。


定期の使用期限を見ると、2011年11月10日まで と書かれていた。
そして、妻の名前の横に51才と書かれていた。


これを使っていたのは、亡くなる7年前だったんだなあ と思った。


定期使用時の、乗車区間を見ると、
妻がよく行っていた古着店がある駅の名前が表示されていた。


妻は、よく古着を買って来て、
私に、その値段を当てさせていた。
そういう妻の姿が蘇ってくる。


300円から500円くらいのものが多かった。


妻が残していったもの。


たくさんの「衣類、傘」
購入したものの、ほとんど着なかった、すごい数の「古着」、
ノートやフォッチキス、メモ帳などの「文房具」、
妻が海外旅行で一度だけ使った「キャリーバッグ」、
見ると、なぜか笑ってしまう黄色の「がま口財布」
今回使ったPASMO やSuicaなどの「交通系カード」、
1本の指で入力していた「ノートパソコン」、
面接に使った「履歴書」、
ビニールケースに入っていた「小銭」、 等。


これらは、すべて妻との思い出に繋がる「形見」。
遺品整理はまだ実行していない。


「形見」は
故人が存在していたという証になる」というような肯定的な見方もあるが、
日常への再適応を妨げるもの」という見方もある。


「形見」は諸刃の剣の要素がある。
「癒やし」を与えてくれる一方、「悲しみ」も同時に運んでくる。


「形見」は、単なる「物」ではなく、
その人にとって、
あたかも魂が入っていて、故人の存在を感じさせてくれる「もの」なのだ。


普段の部屋の整理遺品整理は、
作業としては似ている。


しかし、
処分するものの中に,「形見」が有るか無いかの違いがある。


単なる「物」の処分と、「魂の入ったもの」の処分の違いだ。


両者の総重量は、物理的には、同じグラム数になるが、
心という見えないものを加えて量ると、
遺品整理の方が、「形見」がある分、総重量は重くなる。


私は、今後3年かけて、
妻の遺品整理をすることに、決めている。
残すもの、処分するものを、ゆっくり選別していきたい。


残すものの基準は、


それを見ることで、擬人化に繋がりやすいかどうか。
妻を具現化してくれるものであるかどうか。


結局、そういうことになるのだろう。

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