これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

シンプルに生きられる

一日のうちで、体が楽になっていると思える時間帯がいくつかある。


思いつくところでは、


体を動かしたあとの、アルファ波が全身を覆った感じの時、
涙を流したあとの、すっきりした感じの時、
睡眠が十分に取れたあと、頭の中が整理された感じの時。


これらは、副交感神経の作用が、交感神経を上回ったことで、
脳の前頭葉に安心感を与えた結果なのだろう。
(医療従事者ではない私の、勝手な推測です)


しかし、
このような状態に浸れる時間は、きわめて短く、
一日の大半は、喪失感で覆われている。


もっと、恒久的に私の心を安心させてくれるものはないのだろうか。


先に挙げたような、体の状態から一時的に出るものではなく、
心の芯から出てくるものがあれば、
恒久的な心の安心が得られそうな気がする。


“寿命”に対する考え。


以前のブログで、
「人間の寿命は、最初から決まっているのではないか」と書いた。


そう思うことで、
「もっと、自分に出来ることがあったのではないか」
という「妻の死」に対する後悔を、
多少たりとも軽減してくれることがわかる。


“自分が妻の寿命を縮めた訳ではないんだ”と思えるようになる。


いずれ、私も亡くなる時が確実に来る。


最近、考えるようになったことがある。


「“私の寿命”は、妻がコントロールしている」


このように考えると、
妻と私は、まだ繋がっている と思う事が出来ると同時に、


妻が決めてくれることから、
私は、
いろいろ考えることもなく、シンプルに生きることが出来、
私の心は、とても安定する。

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