これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

俗的でない人

テレビで『鬼滅の刃』を見た。


妻と同じく、“トレンド”は追わない私だが、
多くの人に人気があるものを、無視するよりも、
取りあえず見ておいた方がいいと思い、見ることにした。


見ているうちに、
主人公である炭次郎の妹 禰豆子(ねずこ)という少女に
注目するようになっていた。


受ける印象が、どこか妻に似ているからだ。


禰豆子は、ある事件後、鬼と化した。
普段は大人しく、いつも眠そうな感じなのだが、
炭次郎がピンチとなった時は、戦闘モードとなり相手と戦う。


妻も、普段は弱々しく大人しかったが、
相手が、自分のこだわりに反することをすると、
戦闘モードに変貌していた。


この大きなギャップを持っているところが、
妻を感じさせるところだった。


言動が可愛らしいところも、何となく似ている。


そして、
いつも竹筒を口に咥えている禰豆子(ねずこ)の姿は、
少し変わったところがある妻を連想させる。


また、日中は籠の中で眠っているところも、
妻につながるところがある。


この禰豆子以外にも、


ジブリアニメ」に出ているヒロインが持つ、
汚れのない、純粋な心からくる、凜とした雰囲気”も
妻とダブるところがある。


私は、アニメファンではないので、
自分からアニメ番組を見ることは、ほとんどないのだが、
何気なく見ていたアニメで
そのように感じることが多い。


これに対し、
テレビに出ている、
「女優」、「女性タレント」、「女子アナ」 などからは、
妻を感じる人に出会うことはほとんどない。


個人的な見解だが、


「俗世界の真ん中にいる感じの女性」と、
「その枠には入らない女性」との違いによるのだろう。


どうも、私は、俗世界が好きでないようだ。


でも、このような俗的な女性(私が勝手に作った呼び方です)を、
多くの男性が好む、


でも、これは自然だと思う。
なぜなら、私たちが今住んでいるのは、俗世界なのだから。


このことは私も自覚していて、


普段、人に接する時、


“郷に入れば郷に従え” を念頭に置きながら、
俗的に振る舞う自分を感じている。

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