これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

喪失感の擬人化

「妻」という「財産」がなくなった。


今の私にとってお金は財産ではない
お金なら、やり方によっては取り戻すことが可能だ。
(泥棒、詐欺 強盗ではありません)


しかし、妻という財産を取り戻す方法は現存しない。


妻がいないことで、「喪失感」というものが存在し続ける。


「喪失感」という言葉からは、プラスの面は考えられない。
しかし、このまま何もしないと、マイナスのものを抱えたまま
人生を送ることになる。


そこで、
喪失感は、マイナスだけなのかを考えて見た。


牛の糞をバイオマス燃料に変えて発電する取り組みを、
何年か前に、経済番組で見たことがある


この様な、考えに沿って、
「喪失感」というゴミにみえるものを、
プラスなものに再生出来ないものか。


喪失感の発信地は、「妻の思い出」であることは間違いない。


なので、「妻の思い出」を記憶から消し去れば、
喪失感は発生しないことになる。


認知症になれば、妻の記憶は消えていき、
喪失感は発生しなくなるはずだ。


しかし、それは、正常な方法ではない。


妻が、私にとって、重要でない人になった場合、
喪失感はなくなるだろう。


それは、ありえない。


「妻の存在」を残しつつ、
「喪失感」を消し去ることは出来ないだろうか。


妻との関係で、3つのケースを挙げ、比較をしてみた。


1 妻と出会って、現在も二人で暮らしている場合(理想であるが途切れた)
2 妻と一緒に暮らしたあと、死別した(現状)
3 妻と出会っていない場合(未経験)


1が一番いいのは当然だが、今は過去のものとなり、消えてなくなっている。
そこで、2と3を比べて、どちらを選ぶか考えてみた。


迷いなく、2を選ぶだろう
2には「喪失感」があるが、3には「喪失感」はない。
しかし、2には「妻との思い出」があり、3にはない。


喪失感という不快なものがくっついていたとしても、
「妻との思い出」は貴重だということだ。


「妻との思い出」のプラスから、「喪失感」を差し引いたとしても、
僅かではあるが、プラスが残っている。


ということは、
私が今置かれている現状は、プラス状態であり、
だから、私は死ぬことはしないで、生きようとしているのだ。


更に、
「喪失感」が持つマイナスの数値を、少しでも減らせれば
もう少し生きやすくなるはずだ。


「喪失感」を擬人化して考えるとどうだろう。


私が、「妻との思い出」ばかりに、目を向けようとしていることに
嫉妬して、それを邪魔するために「喪失感」が登場する。


そこに現われた「喪失感」を悪者にしないで、
個性を持った存在として、本人を認めてあげれば、
「喪失感」の存在は、
それほど気にならないものになるのではないだろうか。


兄「妻との思い出」と、弟「喪失感」と考えてもいい。


困ったことばかりする弟だが、
両者は血が繋がっており、
除外は出来ない対象だと考える。


「喪失感」の擬人化は、
多少なりとも、
現状を受け入れる手助けになるかもしれない。

×

非ログインユーザーとして返信する