これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻の死から4年が過ぎた

10月6日は妻の「命日」、生きていれば61歳。


あの日から4年が過ぎた。


毎日、朝起きた時、寝る時、出かける時、家に戻った時、
遺骨箱を擦りながらの声掛け、


弱まることのない妻への想い、


喪失感との戦い、


スピリチュアルへの期待(妻との再会)、


4年前から、これらが、セットになり、
私の一日のルーティンになっている。


今後も、変ることなく続くだろう。


命日となると、
4ヶ月半の闘病中の情景が蘇ってくる。


もっと何かやってあげられることがあったのでは、
という後悔もあれば、


妻に対してやさしく出来たという安堵感もある。


目をつぶったままで寝たきり状態になった妻を、抱き起こして
やさしく言葉を掛けながら抱擁し、「おちょこ」で水を口に注ぐ、


妻に対して、
目一杯やさしく出来る機会と空間を与えてもらい、
最も喜びを感じた時間だった。


妻は、手術、抗がん剤治療をせずに、
痛み止め薬の投与だけでの在宅医療を選んだ。


妻は、闘病生活中、私に、


「(闘病中に)田舎には帰らないでね」
「海外旅行には行かないでね」
と言った。


「こんな時に、行く訳がないだろう」と思うのだが、
妻はそういうことを口にする。


妻らしいと思うとともに、切なくも感じた。


また、
妻は、在宅医が来訪する度に、
「先生、早く死にたいんです。いつ死ねるんですか。」
などと、先生が返答に困る言葉を繰り返していた。


妻は、よく逆の表現を使う人だということは、
私は知っているので、
その言葉は、本音ではないだろうと思っていた。


しかし、妻のことをまだよく知らない在宅医が、
困惑したのは明らかだ。。


妻は、余命1年の告知を受けてから、
テレビで、「殺人事件などのネガティブなニュース」が流れると、
すぐに、私に、チャンネル変えるよう、頼んできた。


以前は、わざわざそんなことをすることはなかった。


今、考えると
免疫力を弱らせるネガティブな情報を、
なるべく排除しようとしていたのだと思う。


少しでも長く生きたいという妻の意図が見える。


そして、
自分の人生の残り少ない限られた時間を、
一番いい形で終わらせたいとの妻の思いが伝わってくる。


「妻の思い」を想像すると、悲しくて、かわいそうでならない。


毎日、妻を想っている自分の姿は、
最も自分らしく、邪念のない、最も好きな自分でもある。


今後も、変らず妻を想い続けて、
妻との思い出を大切にしていたい。


せっかく繋がった「糸」なのだから、
妻の死という出来事で、それが途切れることのないように生きて行きたい。


今日一日で、予定していることは、いくつかあるが、
その中で、大切な一番は、


妻が好きだったケーキを買うこと。
それを、遺骨箱の前にお供えすること。

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