第二幕への期待
10月6日は、妻の命日、
15日は、私の誕生日、
そして、
19日には、妻の誕生日(生きていたら、62歳)が控えている。
残るは、私の命日のみとなっている。
私が、数年後、10月に亡くなるとしたら、
妻と私の “生” と “死” は、
すべて10月の箱の中に収まることになる。
そういうことで、
10月は、
自然と、“生”と“死” を考える月間となってくる。
私が亡くなると、
“妻と私の時代”に終止符が打たれることになる。
幕が下りるまでの何年かの間、
妻の命を繋いだ生き方をすることで、
“二人の時代” の最後を締めくくりたい。
自分の最期は、
その時の状況にもよるが、
自らを自然の一部と考え、
妻と同じく、延命することなく、
“自然死”を選びたいと思っている。
最期の瞬間は、特に輝いたものでなくてもいいだろう。
妻が今、“無”になっているとしたら、
私も、亡くなった後は、“無”になるということだ。
その場合、
“世の仕組み” がそうなっているのだから、
それを受け入れればいい。
一方、
妻が、“宇宙”に今も存在しているのであれば、
私も、また、
死後、“地球”から“宇宙”に場所を変えて、
存在することになる。
なかなか考えにくいことではあるが、可能性がゼロとは言えない。
それば、私の願いが叶うことであり、
“二人の時代” は終わらないことになる。
第一幕では、
“後悔”と“罪悪感”を置いてきてしまった。
それらを消し去る願ってもないチャンスが、
第二幕で巡ってくることになる。