これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

4年前が懐かしい

妻が亡くなる33日前の2017年9月3日
妻と私は、テレビでやっていた「眞子様と小室さんの婚約内定会見」に、
目をやった。


妻は、
どうしても見たいというテレビ番組は、あまりなかったが、
皇室関係の番組や、「ローマの休日」などの時代の、欧米の映画が好きで、
その時間帯は、私は自分の部屋に行き、別の番組を見ることが多かった。


妻は、皇室関係の知識が豊富で、
番組を見ながら、いろいろコメントして、
私が知らないことを、いろいろ教えてくれていた。


そんな妻だから、コメントのほとんどが、皇室に好意的なものだったのだが、
その日の会見を見た時は、妻が放ったコメントは、
いつもと違って、好意的なものではなかった。


当然、その後に出てくるネガティブな情報は、
その時点では報じられていない。
街頭インタビューでは、祝福の言葉が並べられ、
祝賀ムードが漂っていた。


ところが、妻は何の情報も持っていないその時点で、
批判的なコメントを発した。


妻は、こういうことまで言った。
「海の王子コンテストに、応募すること自体でだいたい分かる」と。


妻は、好き嫌いがはっきりしていて、人と違った独特の嗜好がある。
そういう妻だから、こういう発言になったのだろう。


そのような妻は、私を選んだ。
私は、もしかしたら、マニアックな存在なのかもしれない


私たち夫婦は、皇室の出来事において、
皇室と庶民という大きな違いはあるにしても、
いくつか、たまたまだが、一致する点がある。


誕生日が、
眞子様と小室さんが10月で、
妻と私も、10月だ。
これは、おどろくほどのことでもない。


皇太子徳仁親王と小和田雅子さんの
結婚の儀が行なわれた年が1993年
お二人が、極秘で最初にデートした場所が、宮内庁新浜鴨場だったのだが、


私たちも1993年に結婚式を挙げている。
そして、結婚前、妻が住んでいたマンションは、
「新浜鴨場」に歩いて数分の所にあった。


私も、妻と出会う前、
「新浜鴨場」まで、歩いて数分のアパートに住んでいた。
(妻と出会ったのは、私が転勤で、住まいを横浜に移したあとになる)


妻が生きていた時、私は、このことを話題にしなかった。


話していたら、妻はきっと喜んでいたはずなのだが。


昨日、テレビで
「眞子様と小室さんの結婚会見」を、一人で見ていた。


4年前、
「眞子様と小室さんの婚約内定会見」を
二人で見ていた頃が懐かしい。

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