これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

温存の代償

私は、妻を100%幸せにしたかった。
100%守ってあげたかった。


それは出来ると思っていたし、難しいことではないと思っていた。
しかし、それは60%程の達成で終わってしまった。


妻は57歳で亡くなった。
私はその時62歳。


私は妻が癌の告知を受ける少し手前、
妻に対してお金の面で厳しく接していた。


そうしたのは、
二人の、3、4年後からの、より幸せな生活を描いたためだった。


「1歩下がって、2歩進む」という考えによるものだった。


私は、60歳で会社を自己都合退職し、
週3日程アルバイトをしながら、
セミナーを受けたりして、定年のない“ゆる起業”を模索していた。


この時期、私たち家庭の収入は、
私の週3日のアルバイト代、部分年金、
妻の短期バイト代であった。


収支のマイナス分は貯金で穴埋めしていた。


3年後からは、私に正規の年金が入るようになり、
妻は国民年金の納付が終了、加給年金も4年間入る。
4年後には、妻に部分年金が入るようになる。
8年後には、妻に正規の年金が入るようになる。


3年後からは、
お金の面で次々とプラス材料が加わって来て、
妻は働いていないことを気にしなくてもよくなり、
アスペルガーから来る、苦手な、人とのコミュニケーションから解放され、
妻のいいところが発揮されるようになる。


そうなるまでの3年間、
私は、出来るだけ支出を抑える倹約生活を目指そうと思った。


私たち夫婦のお金の管理は私がやっていて、
妻に生活費として5万円を渡していた。
私の生活費と保険、公共料金、妻の携帯代など諸々の費用は私が出していた。


私は3年間限定で、倹約を実行しようと思い、
妻にも倹約を強いた。強いてしまった


それは、
妻に渡していた5万円の生活費を、
短期バイト代でやりくりしてほしいと申し出たことだった。


この時期、妻はバイトをせず、一日中スカパーで昔の洋画ばかりを見ていて、
仕事を探そうとしている様子も感じられなかった。


妻は家事をしない人だったので、5万円分くらいは、短期のバイトでも、
そんなに無理なく稼げると私は思っていた


しかし、妻は私のこの要求に対し、猛烈に抵抗してきた。
50代だと、短期であってもバイトは見つからないと言うのだ。


5万円を削られることが、かなりショックだったのだと思う。
推測なのだが、
私が離婚の準備をし始めているのではないか
と思っているような不安そうな表情も見せた。


二人の喧嘩が多くなっている時期に、
妻は癌になってしまった。


結果論になるが、
野球で言うなら、
エースを後半のために温存し、二線級の投手を使ったため、
大量失点に結びつき、取り返しのつかない事態になってしまった
という感じだ。


“倹約”の趣旨を、妻が理解出来るように丁寧に説明するべきだった
まさか50代で亡くなるとは思っていなかったので、
手を抜いてしまったことが悔やまれる。

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