これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

癌 告知から亡くなるまで 妻と過ごした137日 ⑧

6月12日、義母から電話がかかってきて、泣いていたと妻から聞いた。


夜には、2人の義姉の上の姉から私宛に電話がかかってきて、
妻の容態を聞いてきた。
トイレの回数はいまだに多いが、生活は今までと変わらずに送っていると私は答えた。


夜、妻との会話で「○○先生(主治医)が来たとき、妻を踏んでしまって死んでいます。
と言ったりして」と妻は冗談も言った。


結婚当初、私は会社から帰ってきた時、
ふとんの中で寝ている妻に気づかず踏んづけたことがある。


妻の身長は161センチだが、体重は45キロくらいで布団に入ると平らに見える。
また、寝るとき、布団を顔まで覆って寝るため、
部屋に入った時、てっきりどこかに出かけているのかと思ってしまい
布団の上を踏んでしまった。


布団の中から「痛い」という声がして妻が寝ていることに初めて気付き。
「悪い悪い、平らだったのでわからなかったよ。」
と詫びたことがあったことを思い出した。


この頃の妻の生活の標準は
6:00起床 7:00水洗い 8:00100円ローソンへ自分の食事を買いに行く
9:00寝る10:00朝食 毎日麺類ばかり あと週刊誌を読む
午後洗濯 23時就寝 


6月13日、2人の義姉の下の義姉よりメールが入った後、
夜8時前に台湾のお菓子を持って来て、私が玄関先で受け取った。
妻はいるのだが、妻は会わないと義姉に伝えていたため、
義姉は気を使って、玄関先で手渡してすぐに帰った。
台湾のお菓子というのは、台湾に単身赴任していて一時帰省している義姉の主人が
買って来たものだ


以下、この時期、妻が話したことを書き記す。


6月14日、「帰って来たとき、死んでるかもよ。何が起こるかわからないからね。
死ぬのは怖くない。最後の痛みが心配。」
少し元気がない。雨のせいか?


「○○先生(がんセンターで妻と今後の治療方針を話し合った際、手術を勧めた先生)
は治療したら2~3年延びると言ったが、苦しんでまで生きたくない。
料理のおかず(自分が行う手術対象)が増えるぐらいに思っている」
ということも言った。ただ、これは冗談っぽく。


6月15日「お骨はキツネ箱に入れてここに置いてね。
いっしょにテレビが見れるので。」
“キツネ箱“とは、きつね色の木箱があり、そのことを言っていることが後でわかった。


「うめ(結婚後しばらくした時、妻が独自につけた自身の呼び名)が嫌なんろー。
死ぬ前に聞いときたい。」


「そんなことないよ。最高の人と結婚したと思っている」と私は答えた。
妻は「嬉しい」と言ってニコニコした。


妻もこちらの気持ちを当然わかっていると思っていたのだが
妻がこのように聞いてきたことは、私の淡々とした接し方が原因で
十分に伝わってなかったのかなとも思った。
もう少しはっきり愛情表現をしてあげればよかったと悔やんだ。


6月16日、「口臭がする。うがいして。」(以前、歯を磨いた後、うがいをしなかったことで喧嘩をして以来、何度も言ってくる)


「ハチ(近所にいた大好きだった犬)、のらちゃん(私のこと)いじめたなあ。」
妻独特の表現であり、相手がうっとうしい態度を示しているにもかかわらず、
お構いなく抱きついていたことを懐かしそうに話した。


6月17日、「○○先生(主治医)にどのくらい生きるか聞いてみようか。」


妻から、洗濯方法、TV映りを回復する方法(BSカードの出し入れ)の
レクチャーを受けた。
簡単な内容だが、一生懸命説明する妻を見て、一生懸命聞いてあげた。


「金魚みたいに口を開けてうめ死ぬ。」おどけた感じで言った。


がん告知を受けてから4週間が過ぎた。

×

非ログインユーザーとして返信する