これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

犬が大好きだった妻

1月28日 外を歩いている時、男性のお年寄りが連れた犬とすれ違いざま、
犬が私にすり寄ってきた。


男性は「こらこら」と笑いながら犬を制止しようとした。
しかし、犬はそれでも私に近づこうとしてくる。


私は犬の頭を撫でた後、その場を離れた。
そして、後ろを振り返ると、その犬はこちらを向いてじっと私を見ていた。


通常、散歩に連れられている犬とすれ違う時、犬は私に関心は無く、
何事もなくすれ違うのが普通である。
この犬は今までの犬とは全く違っていた。


その犬は柴犬で、妻が最も好きな種類の犬だった。


もしかして、妻が犬の体を借りて私に会おうとしたのでは。


そのように考えると、気持ちがよくなってくる。
言い換えれば、生活の中で、気持ちのいい時間帯は
こういう現象に出会った時だけだ。


妻は生前、近所にいる「ハチ」という名の柴犬を、
仕事帰りに撫でるのが日課だった。


家に帰って来て、その犬の話をよく私にしていた.。
2人で出かける時、そのハチの所に立ち寄り「これがハチよ」と言って
私に紹介したこともある。


その後、ハチは高齢でもあったため、亡くなった。


妻はそのことを知らず、いつものように犬を撫でに行ったところ、ハチがいない。
どうしたのだろうと、周りを見回していたその時、
見知らぬおじさんが、後ろから現れ
「ハチは死んだよ。愛されてて幸せだったんじゃないかな。」
と妻に言い残して、その場を立ち去ったとのこと。


「あのおじさんはハチだったんじゃないかなあ」と妻は私に話した。


その後、「ハチに会いたい」というのが妻の口癖となっていた。


神様は「魂の存在」を、人が生きている間は明かさないだろう。


その理由は、
死後もこの世に居続けらえることを知ってしまった場合、


生きづらさを持って生きている人達等にとって、
死ぬことへのためらいがなくなる。
そのため簡単に命を絶つ人が増えてしまう。
そうなると、この世で保たれているバランスが崩れてしまう危惧があるから。
そのように想像をしたりもする。


神様が教えてくれないのであれば、
こちらで考えるしかない。


まず「魂は存在する」という仮説を立て、
いろいろな現象に出会うごとに検証を積み重ねていけば、
いずれ「魂の存在」というものが、
説得力のあるものになって行くような気がしてならない。

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