これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻のコメントに癒やされる毎日だった

妻は型にはまらない人が好きだった。
政治家がよく口にする「国民のため」、「命をかけて」など、
同じような口調で同じ言葉を繰り返して使っているのを見ると
辛口コメントが出た。


さらっとコメントした後は自分の言ったことは忘れて、
頭の中は別のことを考えている風だった。


私は、ボクシングの世界タイトル戦はよく見るが、
妻はこういう殴り合いのようなものが嫌いで
私がそれを見ていると、
「こんなの見るのやめな。」
「うめ(本人が付けた自身の呼び名)を殴る研究をしてるんろ」
と笑いながらいつも言っていた。


ユニークなキャラクターの人を見ると
面白そうに興味を持ってコメントをするのが常だった。
そのような妻のコメントを聞くのが
私にとって癒やされる時間だった。


私は毎日見ている経済番組がある。
その番組に時々出演するコメンテーターがいる。


妻が私の部屋に入って来て、テレビから出ている声を聞き
「もしかして、これは顔のパーツが真ん中に集まっている人か」
妻はそのコメンテーターをこう表現する。


そう言いながら振り返ってテレビ画面を見て
「あっ、やっぱりそうだ。また出てる」という言葉を残して
自分の部屋に戻って行くのが
いつものパターンだった。


わたしは少しだけネット証券で株式をやっていて、
バイトに行かない日は、朝9時から10時までの1時間
パソコンで株式ボードを見ている。


その時、妻は私の部屋に入ってきて、ボードをのぞき込みコメントする。


妻は株のことは全く知らないし、興味もない。


しかし面白い名前の会社が好きなようで
「モバクリ(モバイルクリエイトの略)」「サカタノタネ」「トビムシ」
などを目にすると反応する。


「“モバクリ”は上がったの?」と言って画面をのぞき込み、
その株価チャートが開かれているときは、それを見ながら
「うーん、そろそろ売った方がいいですね」と
専門家の真似をする様子が面白く可愛かった。


一覧に“モバクリ”が載っていないページを私が見ていたときは
「あっ、モバクリがない」と言うので、「ほれ」と言ってページを戻すと
「ああ、あった」といて安心した様子を見せた。


こういうやりとりが楽しかった


妻はあまり考えずに自分の持っている感覚だけで言葉が出る人だったので
その自然な感じのコメントを聞くことで、
私は心が洗われる気分になることが出来た。


もう二度とそういう時間を体感することが出来なくなった。


1人でテレビを見ている時、


ここで妻はこういうコメントをするだろうと
考えながら見ているが、


やっぱり本人の生の声でのコメントでないと、
心の安らぎを感じることはない。

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