これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻を幸せに出来なかった男

私は妻と出会い、妻を初めて見て、
無意識のうちに、この人を幸せにしたいと思った。


私は、自分の幸せに対しては、割と淡泊な人間だが、
妻に出会い、
この人を幸せにすることが出来たら、
私も幸せになれると確信した。


「跳ね返りの幸せ」ということだ。
こういう形で、幸せになるのも悪くないと思った。


妻という存在は、
私に、“人生で目指すもの”を、提供してくれた。


それだけ妻は、私が求めていた人であり、
結婚が、遅かった(38歳)私にとって、
「待てばいいことがある」と思わせてくれた人だった。
(あくまでも、「私にとって」ということです。)


「妻の幸せ計画」の具体的な実行を、
会社を退職した後の、65歳から始めようと考えていた。


仕事に神経を取られることがなくなり、
私のすべてを妻に振り向ける“時間”と“余裕”が出来るからだ。


妻は、私のやることを、概ね肯定してくれていたこともあり、
私が妻を幸せにするこの計画は、
それほど困難なものではないと思っていた。


しかし、
妻は、私が62歳の時、57歳で亡くなってしまった。


65歳からの計画は幻に終わってしまった。


今後は、
人生の仕上げがないままで、余生を送ることになる。


24年半の結婚生活だけであっても、
妻は「幸せだった」と言ってくれるかもしれない。


しかし、
私の基準からすると、
私は、妻を幸せに出来たとは思っていない。


「57歳での妻の死」という想定外の出来事により、
私の目標は、未達に終わってしまった。

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