これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

自然界の流れに沿う

8日、元首相 安倍氏が亡くなった。


このニュースを聞いて、驚いたとともに、
「死」について改めて考える誘因となった。


安倍元首相は、私より1ヶ月だけ年上の同年齢(67歳)である。
子供がいないことも共通点だ。
(国に影響力がある人と、妻に対してだけ影響力がある人間の違いはありますが・・・)


そういうこともあって、
今、私が死ぬことになった場合、
どうなんだろうと考えた。


安倍氏は、妻を残して亡くなったのに対し、
私は、残された側である。


妻ではなく、私が先に亡くなる方がよかったのか?
いや、順番はこれで良かったと思う。


その理由は、
生きづらさを抱える妻が一人になった生活を想像すると
心配でならないからだ。
(私以上に妻を大切にする人と、妻が再婚するのであれば、
 私が先に亡くなってもよかった)


私が、これから寝て、そのまま亡くなったとしたら、
何か問題があるだろうか。


特にないように思える。


妻が生きていたら、無念の死となるだろうが、
悲しませる人いなくなった現在においては、問題ないと考える。


妻の死は、
最も大切な人の死である 「二人称の死」 だったが、


これから訪れる私の死は、「一人称の死」 である。


自分がこの世から消える恐怖も、今はなくなりつつある。
終活活動で、
遺品整理をする人に、迷惑を掛けない状態にしていれば、大丈夫だ。


2016年の母の死、2017年の妻の死、2018年の父の死、
を経験した後は、
「死」というものを、
以前感じていた、得体の知れない怖いものというイメージから、
誰もが一度だけ経験する普通のものだと理解するようになりつつある。


すると、
将来訪れる自分の「死」を、
受け入れられるようになり始めたことに気付く。


ただ、
“与えられた寿命”だけは生きるつもりだ。


意に反して、がんになったとしても、
妻と同じように、延命処置はせず、痛み止め処置だけをしてもらって、
静かに「無」になっていけばいいと思う。


自然界の流れに沿えばいいと思う。

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