これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

生と死

今回の文章は、死をテーマにしています。
苦手な人は多いと思います。
読まないで、他へ移ってもいいかもしれません。



「死」には二つの死があると思っている。


「肉体の死」 と 「心の死」。


私の場合、
肉体はまだ生きているが、妻の死とともに、私の心は死んだ。
今の私は、
“死んではいないが、生きてもいない状態” というところか。。


「死」は怖いもの?


怖いと思う人が、圧倒的に多いはず。
私も、肉体と心が共に生きている時は、
死は怖いものだった。
世の中で一番怖いものだったような気がする。


がん患者になった「がん専門医」や「緩和ケア医」が、
「がんの治療、心のケアをする側だった時にわからなかった事が、
当事者になって初めてわかることがたくさんある。」と言っている。
そして、動揺している。


「死」というものは、それほど怖いものなのである。


しかし、失うものがなくなった今、
その怖い「死」であっても、上から見下ろせる気がしている。
(実際、死を目の前にした時、同じ事が言えるかどうかは保証出来ないが・・・)


以前は、死というものを少しでも遠ざけるため、
長生きするための情報があれば、真剣に見ていた。


今は、そのような情報を目にすると、
「まあ、そうだろな」 と他人事のように受け止めている。


私の場合、すでに心は死んでいるので、
失うのは肉体だけになっている。


失うものが減った分、
死への恐怖も減っている感じがする。


そういう面では、気持ちが楽になっていて、妙な気分だ。


だが、
そう言いながらも、健康には気を配っている。


よく噛んで、早食いせず、野菜を最初に食べることを実践していて、
エレベーターやエスカレーターを使わないようにしていて、
近くなら自転車は使わず、歩くようにしている。


毎朝、体重計に乗り、体重チェックもしている。


死への恐怖は少なくなっているものの、
好んで “死” に近づくこともないだろう と思っているので、
健康管理を見据えたルーティンは継続している。


心が死んでいても、
この世の生活で、楽しいことが無いわけではないので、
残りの人生は、「生」に集中して、気持ち良く生きていきたい。
「死」という「私の完成品」が出来るまで。


そして、「死」が近づいた時は、
「死」に集中して、
妻のような “立派な亡くなり方” を踏襲したいと思っている。

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