「ねばならない」
妻が亡くなる前までは、
小さいはずの不安が拡大され、
大きいものとして捉えられていたような気がする。
例えば、
少しだけお腹が痛い時、「何か大きな病気が潜んでいるのではないか」、
「この貯金額で老後は大丈夫なのか」、
「人脈をもう少し増やした方がいいのではないか」、 等
でも、一人になった今は、
これらの不安は、ごくごく小さなものに変化している。
これは、
妻がいなくなったことが影響していることで間違いない。
妻を亡くしたという経験が、
それまで感じていた不安が、
大したことではないと思わせるようになった。
長生きしなければならない、
お金を増やさなければならない、
社会でそれなりに生きて行かなければならない、
妻がいなくなって、
この「ねばならない」から開放された。
必要のないことに、こだわる必要がなくなったのだ。
私の肩から、「ねばならない」という荷物が下ろされた。
そのため、身軽になったと感じることもある。
でも、
この「身軽さ」には違和感がある。
「生きている」という手応えが、消えてなくなったように感じるのだ。
糠に釘を打っているような感覚だ。
人間、持っておきたい荷物が必ずある。
「自分のために」の、「ねばならない」は必要ないが、
「妻のために」の、「ねばならない」は必要だったのだ。
私は、「ねばならない」から開放された代わりに、
「生きている」という感覚を失ってしまった。