これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

私が妻を看取った

妻は、私より先に逝った。


そのため、妻は、私の人生を全部見ていない。


今、私は、妻の知らない人生を毎日更新しながら生きている。


一方、私は、
結婚後の妻の人生を全て見たことになる。


生前の二人の会話から、
妻は、
私を看取るよりも、私に看取られることを、
理想としていたように思う。


亡くなるのが逆だったとしたら、
私は、
自分が亡くなる時、
ひとり残される妻のことを考え、
見えない妻の今後のことを不安に思い、そして心配しながら、
この世を去ることになる。


安らかな、旅立ちにはならなかっただろう。


亡くなる順番はこれで良かったと思う。


問題は、
妻が亡くなるのが、30年ほど早かったことだ。


あと、30年ほど、妻の人生を見るはずだったのに。


90歳前後で、妻を看取って、1~2年後に私が亡くなる。
これが理想だった。


でも、
本当に妻は、私の人生を全部知らないのだろうか。


妻は、
引き続き、空から私を見ているかもしれない。


空からなので、
この世に居た時よりも、
私のすべてを見ているのかもしれない。


目の前に現われる、鳩やカラス、スズメ、その他の生き物の動きから
妻の気配を感じることがある。


見られていると思った時、
救われた感じになり、
少しのあいだ、生きる意味を取り戻すきっかけになっている。


しかし、
しばらく経って、希望の光は小さくなっていき、
もとの心の状態に戻って行く。


そうなる理由は、
目の前に現われた鳥や生き物が、
やっぱり、妻のはずがない、
それは、鳩、カラス、スズメなのだ
というノーマルな考えに戻ってしまうからだ。

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