これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“オキシトシン”が足りない

妻の“いいところ”
(ぶれないところ、“あざとさ”とは無縁なところ、天然でかわいいところ、不器用なところ、物欲があまりないところ など)
を、世の中で一番よく知っているのは、おそらく私だと思う。


私が、長所だと思っていても、
他の人から見れば、欠点になったりもするが、
私には、長所にしか見えなかった。


妻は、
知れば知るほど、
隠れていた“いいところ”が、見えてくる人であった。


それらは、表面にはあまり存在していなく、
深いところに多くが存在しているので


おそらく、妻の両親や二人の姉、知人も見つけられないものが
多くあったように思う。


私の場合、
24年半、生活を共にしたことや、
妻が私に対し、こころを開いてくれていたからこそ、
見つけることが出来たのだと思う。


妻のこころの中に入り、
毎日、宝探しをするように、妻の“いいところ”を
見つけていると、
妻との生活で、飽きるという感覚が生じることはなかった。


飽きのこない人と生活出来たことは、幸せなことで
神様は、悪いことをたくさんしているけれど(←私の主観です)、
時々は
いいこともするのだと、少しだけ見直している。


妻は、
小さな子供のように、
私に、抱きついてくることが多かった。


テレビを見たりしている時に、
飛び込んでこられるのは、うっとうしいと感じることもあったけれど、


基本的には、かわいいと思っていた。


私は、経験上、
幸せホルモンの“オキシトシン”が最も出るのは、
好きな人とハグをしている時間帯だと思っている。


視覚、臭覚、聴覚、だけでは、“オキシトシン”が出る量は少ないと
感じている。


触覚という、肌に直接触れる感覚から、大量のオキシトシンが
出ると思っている。


でも、
触る対象(肉体)がないと、触覚は得られない。


妻という体が無ければ、オキシトシンは出てこないことになる。


妻の写真、動画、そこから出る妻の声を聞いても、
少量のオキシトシンしか出てこない。


毎日が、何か満たされないと感じているのは、
触覚が満たされてないからだと考える。


妻とハグしている時の、感覚はもう経験出来ないのか。


先の話になるが、
魂に、触覚は備わっているのだろうか?

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