これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

いい思い出

妻の事を一番知っているのは、妻だろう。
その次に知っているのは、私ではないかと思っている。


妻は両親と32年間、一緒に暮らした。
私が妻と暮らしたのは、24年半だ。
妻の両親の方が、私より1.3倍長く暮らしていることになる。


確かに、義父、義母は、
私の1.3倍の時間、妻の外面を見ている。


しかし、妻の内面については、
私の方が、多くを見ていたのではないだろうか。


妻は、
両親に対して、仲が悪いわけではなかったが、
心を開いていなかったように見えた。


妻は、人と違った言動が多く、価値観も独特のものが多くあった。
両親には、それが理解出来ず、“変った子”に見えていて、
妻は、よく叱られていたようだった。


妻は、自分が認められていないと感じ、
両親と距離を置いているのが、うかがい知れた。
(結婚式の前日、父親は、旅立つ娘との外食をしようとしたが、
妻は、断っている)


そういう状況の中、私と出会い、
「この人は私を理解してくれそうだ」と直感して、
結婚を決めたのだと思う。


妻は、
私に対しては、心を開き、
心身共に、毎日、密着してきた。


夏の暑い時に、
毎日、私にへばりついてくるのは、さすがにうっとうしかったが、
心の中では、そういう妻が、愛おしいと感じていた。


妻と私は、
お互いが肯定感を与え合う、いい関係だった。


妻にとっても、私にとっても、
一緒にいて、気持ちいい相手だった。


その心地よい感覚の余韻は、
5年3ヶ月の時を経ても、いまだに残っている。


妻を亡くして3年くらいは、
その余韻を、何とか取り戻したいという感情が心に宿っていたが、
今は、
“それは戻ってこないもの”だという、諦めと共に、
現実を意識出来るようになっている。


「いい思い出 だった」と、きれいにまとめたいとは思わないが、
その思い出は、“過去”になっているのは間違いない。

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