これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

最終的に心が向かうもの

見たいと思っていた番組の録画を忘れた時、
もう見れないと思うとショックである。
(ネットでの見逃し配信をやっていない番組の場合)


「特売」を目指してスーパーに行き、
目指す商品が売り切れていた時、
落胆の気持ちは大きい。


スポーツで、応援するチームが、勝利目前で大逆転された場合、
心を満たすはずだったものが、消えて行く喪失感。


自分のものになるはずだったものが、
そうならなかった時、モヤモヤと悲しみ、寂しさが、
心の中に生じる。


ただ、
上に挙げた例は、
気持ちを切り替えさえすれば解消することであり、
大した出来事ではない。


しかし、
伴侶を喪った場合は違う。
上に挙げた場面とは、全く違うシチュエーションになる。


あるはずだったものとは、
「二人の老後生活」ということである。


今は、「一人の老後生活」になってしまった。
一人だと、言葉のキャッチボールが出来ない。
一人だと、「独り言」になってしまう、
最愛の人が傍にいるという、“心の温まり”がなくなった。


失うものが人生に影響するものなので、
ダメージは大きい。


携帯のデータで、修復出来ないといわれたものでも、
特殊技術を持った会社に依頼すると、回復する様子が、
テレビで紹介されていた。


でも、“亡くなった人”に関しては、
再び現われるのを期待することは出来ない。


そのことを踏まえて、今後を考えていかなければならない。
残念だけれど。


私の場合、
空いた穴を埋めるのは、
「人」でも「物」でも、「グリーフへの参加等」でも無理だとわかっている。


やはり、「妻」でなければならないと思っている。


すると、
“姿のない妻”に心が向いてしまう。

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