これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

いい人は早く亡くなる?

世の中、矛盾することは多い。


牛乳が余っているのに、価格が安くならず、
そして、廃棄されている現状。
もったいないと思うし、安くして、飲む人を増やせばいいのに。
牛乳が好きな私は、そう思ってしまう。


そうなっているのは、
価格を下げると、経営コストが上がってきている中で、
酪農経営が成り立たなくなることが理由の一つ。
また、動物相手のため、
生乳の量を簡単に増やしたり減らしたりが出来ないこと など。


いい人が早く亡くなることが多いのも矛盾の一つ。


妻は、
俗的な欲のなさが自然に備わっている人で、
いっしょにいるだけで心が洗われる人だった。


私も、俗的な欲は少なめの人間だったが、
一緒にいることで、比較というものが生じ、
私の濁りが浮き上がって見えてしまっていた。


会社にいる時など、妻のいない時間帯では、
私より濁った人間と比較することになり、
私は、“透き通った人間”に思えてくるから不思議だった。


まわりから汚れを吸い込んだ後、
帰宅して妻に会うと、
その汚れは自然に消えて行くという毎日を繰り返していた。


今はどうかというと、
会社は退職し、会う人は趣味の関係の人ぐらいなので、
汚れを吸い込むようなことは減っている。


このように、妻は“心がきれいな人”だったのだが、
妻は、
こだわりが強く、二つのことを同時に出来ない、空気が読めない、
などの特性があるため、
会社などでは戦力になりにくい人であった。


そのため、生きづらさを感じており、
この世で生きていくことに、
それほど固守していなかったのではないかと、
勝手に、今になって考えたりする。


寿命を決めるのは神様だと仮定すると
心のきれいな、生きづらさを抱えている妻に対し、
妻に合った世界を用意して、
平均寿命まで待たずに、移動させたのではないか。


このように、
「妻は可哀想ではないんだ」と、
『妻の死』を肯定的に見ようと、
いろいろ考えることが多い。

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