これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

小さな子供の共通する行動

私には、子供がいない。
「出来なかった」のではなく、「作らなかった」方だ。(妻の希望により)


なので、
妻亡き後は、二人生活から、一人生活になっている。


私の生活から「妻」という屋台骨が抜き取られ、
毎日が味気ないものになっている。


わずかながら、
美味しいものを食べている時、
テニスをしている時に、
空虚な心が、一時的に、和らぐ。


私は、もう一つ、心が和む場面がある。
それは、
子供の動きを見た時や、声を聞いた時だ。


私には子供はいないが、
子供を見ていると、
少し大げさかもしれないが、「命」を感じ、
癒やしをもらえる。


半年ほど前に、
マンションの隣に引越してきた若い夫婦が赤ちゃんを抱え、
引越しの挨拶に来た。


奥さんが、
「赤ちゃんの泣き声で迷惑をかけるかもしれませんが、
よろしくお願いします」と挨拶された。


時々、赤ちゃんの泣き声が、
僅かではあるが、隣から聞こえてくる。
うるさいと思ったことはなく、
逆に癒やされて、心地良い気持ちになり、口角が下がってくる。


定期的に、
近くのビル内にある共用スペースで時間を過ごすのだが、


そこで、母親もしくは父親に連れられて来ている子供の行動が目に入る。


その時、
目にする子供の、3つの共通する行動に気付いた。


1つが、
ほとんどの子供が「指さし」という行為をする。


2つ目が、
床に、50センチ四方の色違いのタイルが交互に敷かれているのを見て、
両足のケンケン飛びを始める。


3つ目、
3つ並んでいる分別ゴミ箱のところに走って行き、
穴の中を覗き込んで離れようとしない。
しばらくして、親が連れ戻しに来る。


これらの行動は、ほとんどの子供が行うため、
面白いと思いながら、
「なぜだろう」と興味を掻き立てられながら、いつも見ている。
そして、なぜか癒やされている。


「指さし」については、
非言語により、
 相手に反応してもらいたい、共感を求めている、
相手に教えたい欲求、コミュニケーションを取りたい、 
命令的指さし などが考えられる。


公園で、
母親や父親に向かって、
見て見て」と言いながら、
ブランコを漕いでいる女の子もよく見かける。


「安心したい」「自己肯定感への欲求」などがあるのだろうか。

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