これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

地震が来る前に、妻はいなくなった

ここ数日、震災特集番組をどの局でもやっている。
3月11日の震災から8年、毎年この時期に、特集番組が組まれる。
愛する人を失った人がたくさん登場する。


以前はチャンネルを変えて違う種の番組を見ることが多かった。
自分とは少し離れた出来事のような感覚があったと思う。


今はチャンネルを変えないで最後まで見ている。
共感とは、やはりどこか自分と重ね合わさった時に起きる感情ではないかと思う。


8年経っているのだが、皆少なからず無念さを残していることは
表情から見て読み取れる。
苦しそうな表情も共通だ。
「前向きに生きていきます」という人もいたが、
カメラを向けられて自分を鼓舞しているように私には見えた。


大切な人を失った心の状態は、唯一固有のもので
時間により風化しないという点が
今までの生活における心の落ち込みとは全く違う。


人生での落ち込み、それがいかに大きなことであっても、
死別以外の苦難は、一生懸命、どんなにきつくても努力し頑張れば、
完全、或いはある程度は元に戻すことが出来る。
それが簡単では無いことであっても、戻す可能性に希望を託すことが出来る。


しかし、死別が決定的に、違うのは、元に戻すことが出来ない点だ。
「覆水盆に返らず」である。


どんな努力をしても、死に物狂いで事に当たっても
元に戻すことは100パーセント無理なのだ。


この100パーセントというのが、くせ者だ。


99パーセントの場合、1パーセント可能性があるということで、
その1パーセントの可能性に対して、全力で望むことが出来る。


100パーセントというのは、努力する対象が無い、ゼロということである。


自分ではどうすることも出来ない環境は、


表現としては何だが、無期懲役で刑務所に入っている状態が近い。


死ぬまで、辛い環境を変えることが出来ないという点で共通する。
違いと言えば、何も悪いことをしていないのに ということだ。


妻は「地震が来たらどこどこに 避難したらいい」というような話をよくしていた。


その妻は地震が来る前にいなくなった。

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