“普通”の生活
人生を年表で例えると、
68年間の年表は書き終えた。
あと何年書き上げれば仕上げることが出来るだろうか。
5年、10年、はたまた30年。
いずれにせよ、まだ書き続けなければならない。
偉人年表ではなく、どこにでもいる普通人の年表なので、
誰も買う人はいなく、見る人だっていないだろう。
でも、世界に同じ年表はなく、
私にとっては、大切なものである。
なかでも、切り取ってでも保存したい部分があり、
それは、1993年~2017年の部分だ。
たとえ火事で、ほとんどの部分が焦げて文字が読めなくなっても、
この部分だけは、読める状態で残ってほしい。
1993年~2017年は妻との結婚生活期間なのだが、
年表の中で唯一、太字で残したい部分になる。
今後、
太字で残すような部分は出て来ないだろうし、
比較的平坦な人生となることが予想される。
妻を亡くした当初は、抑揚のない毎日に不満を持っていたが、
今は、その状態に慣れてしまっている。
文句は言わない。
1993年~2017年 の生活が、特別だったのであり、
他の年が、決して劣っている訳ではない。
1993年~2017年 がスゴすぎたのだ。
今の感情は、
祭りの後に感じる寂しさ、虚脱感に近いかもしれない。
妻と出会うまでの“普通”、
妻に出会ってからの“高揚”、
そして、妻を亡くしてからの“普通”、
結局、最初の“普通”に戻っただけなのだ。
“祭り”のあとの静かな生活。
何もおどろくことではない。
“普通の生活”に戻っただけだ。