これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

夢見る高齢者

今回は、見方によれば、
少しあやしいかもしれない、
人によっては、
不快かもしれない文章になります。



妻のことは、自分の体の中に入れたいくらい好きだった


でも、お互いに生きている間は、体はそれぞれ独立しており、
物理的に無理なこと。


妻が亡くなって初めて、
妻を私の体の中に入れることが出来るようになった。
希望が叶った?


でも、やっぱり、
体の外であっても、生きている妻のほうがいい。


外にいる妻は見えるけど、
体の中にいる妻は感じることは出来ても、見ることは出来ない。


頭で想像して妻を見ようとする行為は、
想像力をフル回転しなければならず、
ちょっとしんどい。


このままずっと妻は見えないままなのか。


私に肉体がある間は、見えず、
肉体が滅びて、魂だけになった時、
見えるようになると予想する。


今は、肉体が邪魔しているのだ。


魂という、同じもの同志にならないと、
見えない構造が出来上がっていると予想する。


だからといって、急いで肉体を捨てることもないだろう


"肉体" が、期限付きのものであるのに対し、
"魂" の方は、永遠のものであると考えられる。


ならば
肉体のある自分を、出来るだけ長く楽しんだうえで、
次に進めばいいと思っている。


以上、
いろいろ、私にとって、希望ある文章を書いたが、
そもそも、”魂” があること自体、疑わしい。


そうだとしたら、
私は、ただの “夢見る高齢者” ということになる。


“夢見る少女”、 “夢見る若者” などに比べると、
あまりいい響きではない。


それでも、私は、
“恥ずかしい夢” を持ち続ける。

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