これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

人間は生物界の頂点?

チョウがヒラヒラと、私に纏わり付くように、
一定の時間舞った。


こういう場面に出くわすと、
私は、「妻が現われた」と思うことが多い。


そのチョウの飛び方を見ていると、
自由を満喫している妻を想像して、
安心する。


このチョウは、
本当に、妻が生まれ変わった姿なのか、


あるいは、
チョウの体を借りて、一時的に入り込んでいる妻なのか、


または、
妻とは関係なく、普通にチョウなのか。


私の今の感覚では、
それぞれの可能性は、3分の1ずつあると思っている。


もし、妻が生まれ変わって“チョウ”になっているとしたら、
先ほど、「自由そうで安心した」 と言ったけれど、
すぐに、違う感情が出て来た。


「妻の生まれ変わりは、人間ではなく、チョウだったのか。
そうだとしたら、妻が可哀想だ」と。


でも、チョウになった妻を、一方的に可哀想に思うのは、
“生き物の中で、人間が一番上だ”と考える、
人間の傲慢さから出ているとも考えられる。


人間は確かに、脳が発達しているし、
他の生き物が出来ないことを、圧倒的にやってのけることが出来る。


それだけを考えたら、人間が生物界の頂点であることを、
誰も否定することは出来ない。


しかし、角度を変えて考えてみる。


人間は生活の中で、相手を度々だます。
生物も、
例えば、“擬態”して、
天敵から身を守ったり、だまされた相手を食べたりする。
これは、相手をだましてることになる。


人間と同じじゃないか。


しかし、
生物の「だまし」は、
自分が生きるためにやっているのに対し
人間の「だまし」は、
命とは関係なく、自分がより得するために行う行為であり、
質が高いとは言えない。


このように、人間が一番という考えは、
人間の持つ無意識の中にある“傲慢さ”から出ているのであり、
必ずしも人間が生物界の頂点だとは思わない。
自然界の中では、平等と考えていいだろう。


と私は考える。


生まれ変わりが、別に“チョウ”でもいいではないか。


「生まれ変わり」ではなく、
「無」になることも、十分考えられるのであるから・・・。


妻は、
“チョウ”でも“人間”でもなく、
“犬”を希望するかもしれないが・・・。

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